★ 南竜神社 本殿の扉
此度祖先墓参に付旧藩士族に告ぐ
士族は常職なきが如しと雖(いえど)も朝廷の特恩を辱ふし、苟(いやしく)も三民の上に処るを以て、非常の時は別して衆庶の標的となる事今日に限らぬ事に候へども、当今鹿児島暴徒御征討人情不安の時に際すれば、猶更(なおさら)県令の趣意を奉じ毫(すこし)も勤王報国の方向を誤る事之なき様、旧藩の旧誼(きゅうぎ)を以て訳て頼入候也
明治十年三月二十七日 正三位 徳川茂承
旧和歌山藩士族中
松阪城跡
★ 旧藩主 徳川茂承の告文
徳義社の歴史2
緒言
今回旧君徳川公より吾曹士族一般へ拾万円の高を限り、義田の方法・施設あるは遠永不滅の盛挙にして、開業の実際其宜を得るときは同族其幸福を受るなれども、結社の本根を立て結果の実を得ざる間は有名無実に属すれば、其着手一日も遅滞すべからざるなり 然るに自然の便宜を以て小生共へ付託を受ると雖も、結社の後の事業に至りては当票の議員担当すれば、当前の急務は結社より急なるは無く、結社の要は議員を選むより先なるは無し 因て左の議員選挙の概則を以て広告す 庶くは諸君此の意を了悉し速に此挙に応ぜられんことを企望懇祈の至りに堪へず
但投票は六月十九迄に取揃へ、同二十二日午前八時揃ひ本願寺掛所に於て開封す
明治十年五月
三浦権五郎 有本応虎 小出 泉
★ 結社の発端